「ゆいは」「○○ちゃんは」が急に幼く聞こえる理由

SNSで強いキャラクターを見せるゆいぴすを見ていると、言葉遣いまで含めて「大人なのに幼く見える」と感じる瞬間がある。

その象徴が、自分の名前を一人称として使う話し方だ。

ただし最初に切っておきたい。

一人称が名前だから「頭が悪い」という根拠はない。あるのは、そう“見えやすい”社会的な理由だ。

発達研究では、子どもは2歳頃から自分の名前や愛称を自称詞として使い、成長とともに「私」「僕」など一般的な一人称を使い分ける割合が増えるとされる。

だから成人が名前を使うと、聞き手は無意識に「幼児期の言葉遣い」を重ねてしまう。

一人っ子だから、では説明できない

では、一人っ子だからなのか。家族以外と関わってこなかったからなのか。

そこまで言える研究は見当たらない。

むしろ日本では、青年期以降の女性が私的な場面で自分のファーストネームを使うこと自体は珍しくない。女子大学生175人を対象にした日本心理学会の研究では、名前を一人称にする使用者が一定数おり、一部の自己愛傾向との関連は示されたが、「知能が低い」「社会経験が少ない」といった結論ではない。

つまり問題は能力ではなく、場面の使い分けだ。

家族や恋人の前では「ゆい」、仕事では「私」。この切り替えができれば、単なる親密語で終わる。

痛く見えるのは「幼さ」ではなく距離感

違和感が生まれるのは、公共の場でも幼い自称をそのまま持ち込む時だ。

日本語では一人称そのものが、相手との距離や立場を示す。

だから成人が初対面や仕事の場でも名前で自称すると、「相手に自分を子ども扱いしてもらう距離感」を一方的に要求しているように聞こえることがある。

本当に幼く見えるのは名前を使うことではなく、「今ここでその話し方がどう見えるか」を調整しないことなのだ。

“かわいい自分”を維持する言葉

過去の言語社会学研究でも、女性の名前一人称は「ぶりっこ」「幼い」「自分をかわいいと思っている」と同年代女性から評価されることがある一方、完全に否定される言語行動ではないことが示されている。

つまり一人称の名前化は、知性の問題ではなくキャラクター設計でもある。

ゆいぴすのようなインフルエンサーなら、なおさら「ゆい」という自称そのものがブランドになり得る。

しかし成人後もそのキャラクターを公共空間へ持ち込み続ければ、「かわいい」より「自分を客観視できていない」が先に来る人もいる。

大人になるとは「私」と言えることではない。

誰の前で、どの自分を出すかを選べることなのかもしれない。

学校や職場では、相手ごとに言葉を変える能力そのものが社会性として評価される。だから固定した自称は、知能より「場を読む気がない」という印象につながりやすい。

出典・編集注記

事実確認(2026年10月6日):日本心理学会大会発表論文集の幼児期3年間の縦断研究は、名前・愛称の使用が幼児期に高い割合で続く一方、一般的な一人称の使用と相手・場面に応じた使い分けが加齢とともに増えると報告しています。女子大学生175人を対象にした別の大会発表は、潜在的自尊心が低く顕在的自尊心が高い群で、ファーストネームを一人称にする使用者の割合が有意に高かったと報告しています。ただし、知能、一人っ子、社会経験の少なさとの因果関係を示す研究ではありません。「12歳」は研究上の境界年齢ではなく、タイトル上の表現です。ゆいぴす本人の知能、家庭環境、人格を判定するものでもありません。本人の一人称使用については公開発言を対象とした筆者の観察であり、使用頻度や全場面を網羅した調査ではありません。画像は本人を再現したものではありません。

SHARE