B&ZAIの矢花黎が、ミュージカル『JUMP~ヨルがオちてくるそのマエに~』で単独初主演を務める。2027年1月18日から2月7日まで東京・THEATER MILANO-Zaで上演。忌野清志郎のデビュー55周年を記念する新作だ。

本人の半生を再現する伝記ではなく、『JUMP』『トランジスタ・ラジオ』『雨あがりの夜空に』など数十曲で架空の青春物語を編む。脚本・演出は塩田泰造。五百城茉央、武田真治、もも、温水洋一らが共演し、屋良朝幸が振付、阿部篤志が音楽監督を担う。

名曲を歌えることより、その歌が今ここで鳴る理由を作れるかが主演の仕事だ。

矢花黎を選ぶ理由は、顔より手にある

矢花は音楽大学で作詞作曲を学び、ベース、ギター、ドラム、ピアノ、三味線まで扱う。劇中でも清志郎の曲を自ら演奏し歌う予定だ。若い人気者へ名曲を預けるだけでなく、音を作る身体を持つ人を選んだ点には必然がある。

演じる山田清春は物静かな放送部員で、異世界では赤髪のアダマイと出会う。影の薄い少年と、音楽を禁じられた国で歌う人物。舞台上の演奏が飾りではなく、声を獲得する物語の動作になれば、矢花の技術は役そのものになる。

しかし“清志郎の魂”は便利すぎる宣伝語だ

発表は、清志郎の音楽と魂を軸にすると強調する。だが故人の“魂”は反論しない。政治、反骨、愛、テレビで歌詞を変えられた歴史まで抱えた人物を、希望を与える名曲集へ整えれば、危険だった歌が安全な周年商品になる。

清志郎の歌は、明るい合唱へ見えても権力や同調圧力への棘を隠さない。その棘を異世界の悪役だけへ向ければ、現実の観客は安全な正義の側に座れる。現代劇に移すなら、客席の従順さまで刺すべきだ。

反論はある。伝記を避け、別の世代の物語へ曲を置くからこそ、懐古公演にならない。若い観客がB&ZAIや乃木坂46を入口に清志郎へ触れることも大きい。問題は入口ではなく、出口が“いい歌だった”だけで終わることだ。

ジュークボックス・ミュージカルは知名度のある曲で客を呼べる一方、場面ごとの都合に歌詞を従わせやすい。曲が物語を壊すほどの異物になるのか、筋書きの感情を説明するBGMに縮むのか。そこが作品の勝負だ。

55周年を、若手の試験会場にするな

矢花にとってミュージカル出演自体が初で、しかも主演である。初挑戦の緊張を成長物語として売るのは簡単だが、観客が買うのは稽古の努力ではなく完成した舞台だ。制作側は“矢花しかいない”という選考理由を、上演の質で証明しなければならない。

五百城もアコースティックギターを披露する。二人のアイドル性を宣伝に使うなら、歌唱場面だけでなく、清志郎の言葉と今の若者の生活が衝突する脚本を用意してほしい。世代継承は衣装の若返りではない。

名曲を歌えることより、その歌が今ここで鳴る理由を作れるかが主演の仕事だ。『JUMP』が矢花黎を清志郎の代役にした瞬間、55周年は継承ではなく、若手へ権威を着せるだけの興行になる。

出典・編集注記

ミュージカル『JUMP』公式サイト、ORICON NEWSとクランクイン!の2026年9月23日付発表を参照しました。公演は2027年1月18日〜2月7日にTHEATER MILANO-Zaで上演予定。矢花黎が山田清春とアダマイ、五百城茉央が今井ひなたを演じ、脚本・演出は塩田泰造、振付は屋良朝幸、音楽監督は阿部篤志です。未上演のため演技や歌唱の出来は評価していません。画像は本人や既存公演を撮影・複製したものではありません。

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