「昔はね、何でもAIに聞いてたんだよ」
2060年。
老人になった我々が、孫にそんな話をしている可能性はないだろうか。
「文章もAI。絵もAI。仕事の相談もAI」
すると孫が言う。
「え、わざわざAI使ってたの?」
最先端は、いつか古臭くなる
ポケベルにも全盛期があった。
公衆電話から数字を送り、それだけで人とつながれることが革命だった。
しかし携帯電話、スマートフォンが現れ、いまでは若者が実物を見ても使い方すら分からない。
AIにも同じことが起きないとは限らない。
「AIを使う」という言葉自体が消える
ただし、AIそのものが消滅するとは思わない。
むしろ逆だ。
当たり前になりすぎて「AI」という名前を意識しなくなる可能性がある。
いま誰も、
「今日はインターネット技術を使って動画を見ました」
とは言わない。
スマホも検索も地図も、ただの日常になった。
AIもそうなる。
「AIで文章を書く」のではなく、文章を書く道具に最初からAIが入っている。
「AIで動画を作る」のではなく、カメラが勝手に作ってくれる。
そうなれば「生成AI」という言葉自体が、時代を感じさせるものになる。
AI全盛期は、いまだけなのかもしれない
未来から見れば、2020年代は奇妙な時代なのかもしれない。
人間がAIの進化に毎週驚き、
「AIに仕事を奪われる」
「これはAIで作った」
と、わざわざAIと人間を分けていた時代。
そして老人になった我々だけが懐かしそうに言う。
「あの頃はChatGPTっていうのがあってな」
ポケベルを懐かしむ親世代を見るような目で、孫に見られながら。






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