9月28・29日、東京・赤坂インターシティコンファレンスで「Visual EXPO by BRANDED SHORTS」が開かれる。Short Shorts Film Festival & ASIAのブランド映像部門を、上映、賞、トーク、展示、商談へ広げた企画だ。候補には企業や自治体の映像が並び、AIやXRの出展もある。

映像の仕事を支える予算は大切だ。だが短編映画を見に来た人が同じ会場で企業の課題解決メニューを読む時、作品は独立した表現でいられるか。映画祭の自由と展示会の成果指標を、便利な「映像の力」で一括りにする違和感が残る。

企業の課題が短編映画を生むことと、短編映画を営業資料へ縮めることは違う。

ブランド映像にも、批評は必要だ

広告だから芸術ではない、という線引きは乱暴だ。限られた秒数と目的の中で、優れた撮影や語りが生まれる。企業や自治体が、従来のCMより複雑な話を短編へ託す価値もある。観光や採用の映像が、その地域や働き手を新しく見る入口になることもある。

それでも発注者が費用を出し、成果を求める以上、何を映さないかは表現の核心になる。企業の環境負荷、働く現場の矛盾、観光地の日常が題材から外れた時、その欠落を批評できなければ、映画祭は品質保証の印を押す機関になる。

賞と商談が隣り合う時、評価軸は混ざる

公式案内には受賞作、候補作、出展企業、ビジネスマッチングが並ぶ。制作者が次の仕事を得ることは健全だ。ただし「商談につながる作品」と「見た後に問いが残る作品」は同じではない。スポンサーに使いやすい映像ばかりが成功例になれば、評価は安全な説得術へ寄っていく。

展示ではAIやXRも掲げられる。新しい制作技術を試す場所は必要だが、技術の鮮やかさが発注の目的を隠す可能性もある。誰の視点で世界を切り取り、誰に都合の悪い画面を消したか。短編の長さ以上に、その判断を見せる場であってほしい。

短編を企業の“いい話”だけへ閉じ込めるな

小規模な映画祭や独立系の制作者には、会場も資金も乏しい。大きな企業の予算と会えるEXPOが、次作へつながるなら歓迎したい。問題は資金の出所ではなく、映像を受注可能な成功談としてしか語れなくなることだ。

今回の全作品を鑑賞したわけではない。ここで問うのは上映作の出来ではなく、映画祭を商談会へ広げる設計である。賞の理由や審査基準、制作者の裁量まで見せれば、企業映像にも本当の批評が生まれる。

観光映像大賞や採用をテーマにした部門を同じ場所へ置くことにも論点がある。土地を美しく撮ることと、そこに暮らす人の現実を伝えることは違う。職場の魅力を語ることと、働く条件を示すことも違う。上映後に映された側の視点を呼び込めれば、広告の展示棚を越えられる。

企業の課題が短編映画を生むことと、短編映画を営業資料へ縮めることは違う。Visual EXPOが映像の未来を名乗るなら、売れる理由だけでなく、発注者に逆らえる余地も展示しろ。

出典・編集注記

Visual EXPO公式日程、Short Shorts Film Festival & ASIAの主催者発表、9月17日付展示案内を参照。全上映作品を鑑賞した評価ではなく、企画構造の批評です。

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