三十四年前の役が、いま向かい合う

野村萬斎と稲垣吾郎が2027年上演の舞台『テンペスト』で初共演する。野村はプロスペロー、稲垣は空気の精エアリエル。サイモン・ゴドウィンが演出し、東京のTHEATER MILANO-Zaで2月24日から開幕、その後富山と大阪へ巡る。野村は1993年の同作でエアリエルを演じた。年月を隔て、かつての精が魔術師へ移る配役には、単なるスター共演以上の劇的な線がある。

二人が別々の『陰陽師』で安倍晴明を演じたことから、見出しには『陰陽師コンビ』が躍る。それは入口として分かりやすい。ただ、その説明だけで公演を売れば、別の作品で築いたイメージをシェイクスピアの島へ持ち込むことになる。両者の知名度より、主人と精霊の間で誰が何を命じ、誰が自由を求めるかこそ舞台の核だ。

エアリエルは魔術師の飾りではない

プロスペローは復讐のために嵐を起こし、島へ敵を呼び寄せる。エアリエルはその力を遂行する存在でありながら、従属からの解放を望む。主役と相棒という安全な図に収めるほど、この関係の緊張は消える。稲垣の役を幻想的な案内役とだけ紹介せず、従う身体が自由を要求する政治性をどう見せるかに注目したい。

野村自身が同じ役を経てプロスペローへ移ることも、世代交代という美談で終わらない。かつて命令される側を演じた人が命じる側に立つ。その記憶を舞台上で生かせば、権力者が自分の権力を疑う瞬間が深まる。一方、過去公演の再現を求めすぎれば新しい演出と共演者の自由を狭める。比較は観客の道具であって、作品への命令ではない。

上演前に問えること

共演には山下美月、玉置玲央、青柳翔、西岡徳馬らも名を連ねる。スターの名前を並べる報道は集客に役立つが、戯曲の中心には追放された父娘、島の住人、許しを待つ人々もいる。宣伝が二人だけの超常対決を強調するなら、島を巡る複数の立場が見えなくなる。上演の具体的な解釈は、稽古と本番を待って判断すべきだ。

初共演を祝いながら、作品の問いを先に狭めない。エアリエルを『陰陽師コンビ』の片割れにせず、自由を要求する声として聴ける公演を期待する。三十四年をつなぐのは俳優の肩書ではない。命じた者と命じられた者の関係を、いまの客席へどう渡すかだ。

『テンペスト』は魔法の見せ場を持つが、最後に残るのは権力を手放せるかという人間の問いである。野村の身体がかつてのエアリエルを覚えているとしても、その記憶は当時の舞台を見た人だけの暗号であっては困る。初めて戯曲に触れる観客にも、命令が相手の自由を奪う瞬間を明晰に示せるか。舞台美術の大きさや話題の配役とは別に、声の間と人物同士の距離が試される。公演前の期待はそこで止め、実際の出来は幕が開いてから語りたい。富山と大阪の客席へも、東京の評判より舞台そのものが届いてほしい。

出典・編集注記

出典(10月13日確認):テレビ朝日。公演、配役、日程、野村の過去の出演について確認。未上演作の演技評価ではありません。

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