テレビの何がそんなに凄いのか。映像が綺麗? 制作費? 芸能人? 違う。強制力である。
テレビをつける。その時間に放送している番組を見る。基本的にはそれだけだ。YouTubeのように100万本の動画から選ばせてくれない。TikTokのように趣味を学習してくれない。Netflixのように『次はこれなんてどうですか?』とも言わない。これ見ろ。テレビはずっと、この乱暴な商売をやってきた。
好きなものを選ばせるYouTube。好きになる前のものまで見せるテレビ。
YouTubeは『好き』を強くする。テレビは『知らない』を見せる
YouTubeを開けば、野球が好きな人には野球。地下アイドルが好きなら地下アイドル。ゲームが好きならゲーム。便利だ。でも永遠に、自分の好きなものだけを見ることもできる。
テレビは違う。『ミュージックステーション』を見ていたら、知らないアーティストが出てくる。『アメトーーク!』を見ていたら、興味のなかった芸人を覚える。『水曜日のダウンタウン』を見ていたら、翌日学校や会社でその話になる。そして年末になれば、『M-1グランプリ』をみんなで見る。自分で探していないものが、勝手に人生へ入ってくる。これがテレビの強さだ。
共通言語は『選べない場所』から生まれる
動画プラットフォームでは、一人ひとり違う画面を見ている。俺のYouTubeとあなたのYouTubeは違う。TikTokならもっと違う。アルゴリズムが優秀になればなるほど、みんなが同じものを見る理由がなくなる。
テレビは逆だった。月曜の朝、『昨日のガキ使見た?』で会話が始まった。『半沢直樹』の『倍返し』。『M-1』で突然売れる芸人。『逃げるは恥だが役に立つ』の恋ダンス。興味がなかった人間の視界にまで押し込むから、社会現象になる。テレビは巨大な強制視聴装置だった。
もちろん今は録画もTVerもある。テレビ自体も選択型になっている。それでも地上波にはまだ、『今夜これを全国に流します』という暴力的な力が残っている。
不便だから、文化になれる
ネットは便利だ。テレビより優れている部分も山ほどある。でも文化を作るという一点では、『選べること』が必ずしも正義ではない。全員が好きなものだけを見る世界では、全員が知っているものが生まれにくい。
嫌いでも見た。興味がなくても見た。家族がつけていたから見た。チャンネルを変えるのが面倒だから見た。そして翌日、みんな知っていた。この『無理やり共有させる力』を、レコメンドはまだ完全には代替できていない。
テレビは不自由だ。一方的だ。時代遅れだ。でも、その欠点こそが最大の強みだった。好きなものを選ばせるYouTube。好きになる前のものまで見せるテレビ。共通言語を作るには、ときどき選択肢なんてないほうがいい。
出典・編集注記
『M-1グランプリ』『水曜日のダウンタウン』『ミュージックステーション』『アメトーーク!』など、現在も公式情報が公開されている番組を例に、放送と個別最適化された動画配信の違いを論じた記事です。『一生作れない』はテレビの同時性を強調する評論上の表現です。参考:






レスポンスを読み込んでいます…