2027年夏にロンドンのBarbican Centreで予定されたミュージカル『Sunday in the Park with George』が、中止になった。スティーヴン・ソンドハイム作詞・作曲、ジェームズ・ラパイン脚本の名作再演で、主演はアリアナ・グランデとジョナサン・ベイリーだった。
グランデが8月に公の仕事から距離を置くとして降板し、9月にはベイリーも離脱。制作側は代役交渉を続けるとしたが、14日、2027年上演を断念した。権利は保持し、2028年の実現を探るという。
二人が抜けて作品まで消えるなら、売っていたのはソンドハイムではなく再会写真だった。
名作なのに、二人がいなければ止まる
1984年初演、ピュリツァー賞受賞作である。画家ジョルジュ・スーラと創作、恋愛、人生の選択を扱い、何度も再演されてきた。台本も楽曲も消えていない。それでも公演は止まった。
理由は明白だ。当初の価値が作品だけでなく、『ウィキッド』で共演したグランデとベイリーが再び舞台に立つというニュースへ集中していたからだ。二人の名前で巨大な期待を前借りし、抜けた後に同じ価格で売れる代役を見つけられなかった。
降板した俳優だけを責めるのは違う
グランデはツアー後の休息と、外見や健康をめぐる過剰な注視から距離を置く必要を示した。ベイリーも個人の判断で退いた。長期公演を引き受けられない事情はあり得る。契約上の責任は当事者間で処理されるべきで、観客が心身を差し出せと要求する権利はない。
問題は制作設計だ。俳優の参加が未確定な段階から、再共演を企画の中心へ置けば、一人の事情が作品全体を止める。スターシステムはチケットを売るが、代替不能性まで宣伝してしまう。降板後に『作品を守る』と言っても、最初に作品を人質にしたのは制作側である。
観客にも具体的な損失がある。公演日は一年近く先でも、遠征客は休暇、交通、宿泊をスター発表に合わせて準備する。払い戻せるのがチケット代だけなら、制作側が売った期待の後始末を客へ押しつけることになる。早期発表で話題を取るなら、変更時の説明責任も同じだけ早く重い。
2028年に必要なのは、代用品ではない
延期して別キャストで上演するなら、誰が二人の代わりかという比較から逃れられない。だから必要なのは似た知名度の補充ではなく、演出家マリアンヌ・エリオットが、この作品を今ロンドンでやる理由を作り直すことだ。
スターのスケジュール表から始まる舞台は、スターが去れば空洞になる。名作の権威だけでも埋まらない。創作と恋愛のどちらを選ぶか問う作品を、俳優二人の再会だけで売った皮肉は重い。企画そのものが、作品の警告を聞き逃していた。
二人が抜けて作品まで消えるなら、売っていたのはソンドハイムではなく再会写真だった。2028年に復活させるなら、最初に取り戻すべきは主演ではなく、作品を上演する必然である。
出典・編集注記
Barbicanの当初発表、Empire Street Productionsの声明を報じたAP、The Guardian、The Stageの2026年9月14日付記事を参照しました。2027年公演は予定通り進めず、制作側は権利を保持して2028年上演を検討しています。画像は実在の舞台や出演者を撮影したものではありません。






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