「優秀な人」という人間はいない
ホリエモン、溝口勇児、wakatte.TVを見ていると、時々不思議になる。
事業で成功した。難関大学に入った。大きな組織を動かした。だから発言まで正しい――そんな空気が、本人にも周囲にも生まれる。
しかし2026年、堀江貴文はSUSURUが自身の店のラーメンを「まずい」と言ったとして批判し、SUSURU本人から「言ったことは一度もない」と否定された。wakatte.TVの高田ふーみんも、福島大学の放射能研究をめぐる発言で炎上し、配慮不足を認めて動画を削除した。溝口勇児もREAL VALUEをめぐる三崎優太との対立が公開の応酬へ発展した。
一つの場所で勝ったことは、「あなたという人間全体が優秀」という証明ではない。
東大生100人も、全員が上位2割ではない
よく語られる「2:6:2の法則」が面白いのはここだ。
これは科学的な普遍法則として確立されたものではなく、組織論で使われる経験則に近い。それでも「集団の中には相対的な上位・中位・下位が生まれる」という見方は重要だ。
東大生を100人集めても、全員がその場の上位2割にはならない。
試験では全員が上位層でも、説明力、対人能力、判断力、倫理観、専門外の知識まで同じではない。官僚だけを集めても差は生まれるし、中卒だけを集めても、その中で抜群に仕事のできる人間は出てくる。
「どの集団に所属しているか」と「その人が何について優秀か」は別問題だ。
成功体験は専門外まで膨張する
怖いのは、成功すると自分の得意分野の境界線が見えなくなることだ。
会社を作れた。受験に勝った。投資で当てた。すると教育、医療、恋愛、飲食、芸能まで、自分の判断は平均より正しいと思いやすくなる。
周囲も「この人は成功者だから」と反論しにくい。
その結果、誰でもする程度の勘違いや雑な発言が、「賢い人の見解」として巨大な拡声器に乗る。
学歴も会社名も、ある選抜を通過した履歴にすぎない。別の競技に移れば順位表は簡単に作り直される。そこを忘れると、肩書きが思考停止の免許証になる。
「あなたは優秀じゃない」から始める
これは成功者を馬鹿にする話ではない。
「自分は優秀だ」ではなく、「自分はこの領域では結果を出した」と限定して認識する方が、ずっと知的である。
東大卒だから優秀なのではない。東大入試を突破する能力が高かった。
起業家だから賢いのではない。ある事業で成果を出す能力があった。
肩書きは万能能力証明書ではない。
あなたは優秀なのではない。優秀だった分野があるだけだ。
この区別を忘れた瞬間、成功者ほど大きな声で普通の間違いをするようになる。
出典・編集注記
事実確認(2026年10月6日):日刊スポーツは、堀江貴文がSUSURUによるWAGYUMAFIAのラーメンへの発言を批判し、SUSURUが「まずいと言ったことは一度もない」と否定した経緯を報じています。ITmedia NEWSは、wakatte.TVの高田ふーみんが福島大学の放射能研究をめぐる発言への批判を受け、配慮不足を認めて動画を削除したと報じています。REAL VALUEをめぐる溝口勇児と三崎優太の件は、SNSや動画で公開された双方の主張が応酬したことを指し、どちらの主張が正しいかを認定するものではありません。「2:6:2の法則」は組織論で紹介される経験則・考え方であり、人間集団に常に厳密な比率で成立する科学的普遍法則として扱っていません。本記事の成功体験と自己評価に関する一般化は筆者の意見です。画像は本人たちや実在の大学・官庁を再現したものではありません。






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