小劇場の予約フォームには、応援する出演者を選ぶ欄がある。誰が何枚売ったかが見え、次の出演や扱いにも影響する。結果として、演技より先に「客を呼べる人」がキャスティングされる。舞台をつくるはずの出演者が、販売代理店まで兼ねる。
初日が満席になれば写真が投稿され、千秋楽には大入り袋が配られる。だが、その客席の多くが出演者の家族、友人、過去の共演者、断りきれなかった知人で埋まっているなら、作品が選ばれたとは言い切れない。人間関係が一度チケットへ換金されただけだ。
満席は成功の証拠になる。しかし、作品が売れた証拠とは限らない。
制作のリスクを、俳優の交友関係へ押しつける
集客力のある俳優を求めること自体は興行として自然だ。しかし宣伝設計も作品の入口も用意せず、売れなければ本人の努力不足とするのは違う。主催者が負うべき興行のリスクを、若い俳優の連絡先一覧へ移している。
この仕組みでは、客を呼べる人が残り、稽古へ時間を使う人ほど不利になる。知らない作品を見たい新規客より、毎回同じ知人が別の出演者名で席を埋める。満席なのに観客層が広がらないという奇妙な興行が完成する。
次も来る人が増えて、初めて作品が売れた
大事なのは一公演の座席数ではなく、出演者を知らずに来た人が、次も劇団や作家を選ぶかどうかだ。そこを測らず「満席でした」だけを成果にすれば、友達を使い切った瞬間に興行は終わる。
小劇場が小さいことは弱さではない。だが、狭い人間関係だけで回ることまで美徳にしてはいけない。作品に観客を呼ぶ責任を制作側が取り戻さなければ、満席の写真だけが増え、演劇の客は増えない。
出典・編集注記
個別の劇団を指すものではなく、小劇場で出演者個人へ集客責任が偏る慣行を論じています。






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