昔のスターは最初から「男」だった
沢田研二、西城秀樹、郷ひろみ。
昭和の男性スターを振り返ると、今より圧倒的に「性的」である。
歌い方、目線、衣装、腰の動きまで含め、女性から欲望される男としてステージに立っていた。西城秀樹は当時から「男らしさの中に秘めたセクシーさ」を魅力として語られている。
さらに時代が進めば、桑田佳祐は『エロティカ・セブン』を歌い、郷ひろみは『GOLDFINGER ’99』を大ヒットさせる。
性欲を隠していない。
エロい男がエロい歌を歌うから、そこに変な裏切りがない。
もちろん昔の歌手にも女性問題は山ほどあった。昔の男の方が誠実だった、という話ではない。
違うのは「見せ方」だ。
今の男性歌手は、性欲だけ消されている
現在の男性アーティストには、以前ほど露骨な男性性を売らない人が増えた。
細身。ナチュラルな服。優しい声。傷ついた恋愛。繊細な歌詞。
強い「オス」を出すより、女性に警戒されない柔らかさが商品になる。
優里の代表曲『ドライフラワー』も、別れた恋人への未練を描く恋愛曲として巨大な支持を得た。一方、2021年には複数女性との同時交際をめぐる報道が出て、「純愛系」のイメージとの落差まで話題になった。 (文春オンライン)
川谷絵音の2016年の不倫騒動も、既婚であることを公にしていなかった中で発覚した。 (スポーツニッポン)
性を隠せば清潔には見える。しかし消えたわけではない。
芸に変換されない性欲はただ生々しい
ここが一番大きい。
沢田研二が色気を出せば、それはステージ上の演出になる。
西城秀樹が男臭く迫れば、それも芸になる。
性欲やナルシシズムまで、衣装、歌詞、振付、スター像へ加工されていた。
対して現代の「無害そうな男性歌手」は、表の商品から性を抜く。
すると女性問題が報じられた時、それまで芸能として処理されていなかった生身の欲望だけが週刊誌の記事、LINE、DM、ホテルという現実的な形で突然出てくる。
だから妙に気持ち悪く感じるのではないか。
昔のスターが健全だったわけではない。
むしろ逆だ。
最初から「この男は女が好きそうだ」という部分までスター像に含めていた。
今の男性歌手に必要なのは、昔のマッチョさへ戻ることではない。
性を隠して無害を演じることと、性的な欲望を持つ普通の人間であることの間を、もっと自然につなぐ表現なのかもしれない。
人間から性欲だけ消したキャラクターを作るから、現実が漏れた時だけ異様に生々しくなるのである。
出典・編集注記
事実確認(2026年10月5日):歌ネットは1970年代の新御三家を紹介する企画で、西城秀樹の魅力を「男らしさの中に秘められたセクシーさ」と表現しています。リットーミュージックは1970年代を「セクシー歌謡全盛時代」として振り返り、郷ひろみ、西城秀樹、沢田研二らの人気と、ビジュアルやアクションを強調した歌謡の展開を紹介しています。ORICON NEWSは「ドライフラワー」を男女の別れを女性目線で描いた曲と紹介。文春オンラインは2021年、優里について複数女性との交際が重なっていたとする女性側の証言を報道しました。これは報道内容であり、本稿が私生活上の事実を独自に認定するものではありません。川谷絵音は2016年の報道後に、一般女性と前年夏に結婚していたことと、既婚の身で軽率な行動を取ったことを文書で公表しました。「昔の歌手は堂々と性的だった」「現代男性歌手は無害さを商品化している」「性が芸に変換されないため女性問題が生々しく見える」という対比は、全歌手に共通する客観的傾向ではなく筆者の論評です。画像は実在の歌手、報道写真、私生活を再現したものではありません。






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