かわいい人がいる。かわいいキャラクターがいる。それ自体は何も悪くない。問題は、「かわいいと思われたい」が見えた瞬間だ。途端に少しきつくなる。

霜降り明星・せいやには、もともと愛嬌がある。小柄な体格、大きなリアクション、子どものように弾む表情。本人が必死に何かをした結果、自然にかわいく見える瞬間がある。

ただ、その魅力を本人や番組が意図しているかどうかとは別に、見る側が「あ、今かわいいを出しにきたな」と感じた瞬間がある。すると急に、かわいさが営業に見える。かわいいものが嫌なのではない。かわいいの押し売りが、きついのだ。

かわいいかどうかは、本人ではなく、こっちに決めさせてほしい。

かわいいは『狙っていない感じ』が重要

かわいいとは、本来、本人の意図より先に見る側が発見するものなのだと思う。犬が首を傾げる。子どもが言い間違える。芸人が必死になった結果、妙な動きをする。こちらが勝手に「かわいい」と感じる。

ここでは評価の主導権が受け手にある。ところが本人から「これ、かわいいでしょ」と提出されたように感じると、関係が逆転する。かわいさではなく、かわいさの営業になる。

実際にせいやがそう計算している、と断定する話ではない。重要なのは、本人の意図より、受け手が『商品化の意図』を見つけた瞬間に魔法が解けることだ。

『ちいかわ』は、かわいい顔をして世界が怖い

その点、ナガノの『ちいかわ』は異常にうまい。ちいかわ、ハチワレ、うさぎ。丸い。小さい。抱きしめたい。見た目だけなら、強力なキャラクタービジネスである。

でも中身を見る。働かなければ報酬は得られない。資格試験に落ちる。討伐へ行く。怪異が出る。かわいい世界のはずなのに、ずっと薄く死の匂いがする。

ここが強い。「かわいい」を全面に出しながら、作品そのものはかわいいだけで終わる気がない。だから大人も読める。むしろ大人の方が、労働や不条理の怖さを知っている。

かわいいの裏には、別の何かが必要だ

かわいいキャラクターが長く生き残る時、かわいい以外の余白がある。友情、嫉妬、労働、恐怖、ブラックな笑い。受け手が勝手に読み込み、遊べるものが残っている。

逆に「かわいいです」「癒やされます」「この子かわいいでしょ」だけを続ければ、かわいいの説明会になる。説明されたかわいさほど、かわいくないものはない。

せいやの面白さも、完璧なマスコットになることではない。愛嬌のある成人男性が、突然ものまねや即興でめちゃくちゃな方向へ走る。その落差があるから、結果としてかわいい。かわいいを売りたいなら、かわいいを隠せ。『ちいかわ』は、かわいい顔をしながらずっとそれをやっている。

出典・編集注記

霜降り明星・せいやの容姿や人格を客観評価する記事ではなく、『かわいい』の受け取られ方を考える編集部の文化論です。『ちいかわ』については公式アニメサイト、映画公式のナガノ氏インタビュー、作品世界の労働・討伐・資格試験を紹介した解説記事を参照しています。参考:

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