男には、しょうもないプライドがある。自分より妻の方が稼いでいる。自分が目指していた仕事に妻が先になった。自分は家で子どもを見ている。誰も馬鹿にしていない。それでも勝手に傷つく。めちゃくちゃ面倒くさい。
天野千尋監督の『佐藤さんと佐藤さん』で、佐藤タモツ(宮沢氷魚)は弁護士を目指して司法試験を受け続ける。落ちる。また落ちる。彼を応援しようと佐藤サチ(岸井ゆきの)も一緒に勉強を始め、合格したのはサチだけだった。
残酷すぎる。サチは何も悪くない。努力した。結果を出した。タモツだって喜ぶべきだ。でも、喜べば傷が消えるほど人間は便利ではない。この映画は、その格好悪さを「古い男」の一言で片づけない。
夫婦は、正論で勝った方が優勝するゲームではない。
『男のプライド』で片づける女
個人的に面白いのは、タモツ以上にサチだ。サチは強い。稼ぐ。仕事をする。合理的だ。だからタモツの苦しみが、しょうもない男のプライドに見える。いや、実際しょうもない。だが人間の感情なんて、大抵しょうもない。
「私の方が稼いで何が悪いのか」。何も悪くない。「家事と育児を男がやって何が悪いのか」。何も悪くない。全部正論である。でも夫婦は、正論で勝った方が優勝するゲームではない。
サチは弁護士として前へ進む。タモツは子育てと家事、アルバイトをしながら受験を続ける。サチから見れば「そんなことを気にするな」。タモツからすれば、気にしない自分になれない。そのズレが生活の小さな場面から二人を削っていく。
男は面倒くさい。でも女も残酷だ
この作品がうまいのは、「古い価値観に縛られた男が悪い」で終わらせないところだ。タモツは面倒くさい。でもサチにも、自分が正しいからこそ相手の傷を理解できない鈍さがある。
これは男女平等を否定する映画ではない。むしろ、役割を入れ替えても感情までは自動で更新されないことを描く映画だ。男が稼ぎ、女が家を守るという分担は壊せる。でも「妻より成功したい」「夫には堂々としていてほしい」「相手に認められたい」という古くて説明しづらい感情まで、制度は消してくれない。
人間は社会よりアップデートが遅い。だから宮沢氷魚のタモツに腹が立ち、岸井ゆきののサチにも少し冷たさを感じる。その両方を同時に成立させる演技が、この夫婦を単純な被害者と加害者にしない。
正しい人間同士が、しょうもない感情で壊れていく
タモツを「しょうもない男だ」と思う観客もいる。サチに「もう少し分かってやれ」と思う観客もいる。たぶん、その両方が正しい。だから嫌なのだ。
夫婦の喧嘩は、悪人と善人が戦う話ではない。正しい人間と正しい人間が、それぞれ捨てられない感情を抱えたまま同じ家で暮らす話だ。
『佐藤さんと佐藤さん』は、結婚を美談にも地獄にも固定しない。大好きなのに理解できない。応援したのに喜べない。一番見たくない夫婦の現実を、ちゃんと映画にしてしまった。
出典・編集注記
作品の結末には触れていませんが、中盤までの設定を含むレビューです。映画公式サイト、製作会社の作品情報、劇場掲載の公式あらすじを参照しました。人物の感情に関する記述は編集部の作品解釈です。参考:






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