西野カナの歌詞は分かりやすい。誰が誰を好きで、寂しくて、会いたくて、別れたのかを教えてくれる。一度聴けば「あ、私のことだ」と入れる。これは悪口ではなく、大衆へ感情を届ける強い技術だ。ただ、ときどき思う。全部言っちゃうんだ。

全部説明してくれる歌には、一回で分かる気持ちよさがある。説明してくれない歌には、何十年経っても分からない面白さがある。

『会いたい』と書かないから残る会いたさ

深夜二時、冷蔵庫に缶ビールが二本あり、一本だけ取って閉める。それだけで失恋を描けるかもしれない。「寂しい」「会いたい」と書かなくても、聴き手が「二人で飲むはずだったのか」と考える。歌詞の中ではなく、歌詞と歌詞の間に答えがある。

余白へ自分の人生を入れる

説明しない歌詞では、受け手が参加できる。台所の二つのコップに、別れた恋人、家族、友人、昨日までいた誰かを重ねられる。二十歳では分からなかった一行が、三十五歳で突然分かる。歌詞は同じで、変わったのは自分だ。だから何年も聴ける。

西野カナは悪くない。完成している

明確な言葉で多くの人に「私のことだ」と思わせるのは簡単ではない。ただ筆者が欲しい快感とは違う。答えより、考える余地が欲しい。全部説明する歌には一回で分かる気持ちよさがある。説明しない歌には、何十年たっても分からない面白さがある。歌詞くらい不親切でいい。その余白に、自分の人生を勝手に入れればいい。

出典・編集注記

西野カナの全楽曲を一律に分類するものではなく、感情を明確な言葉へ変換する代表的な作風を起点にした編集部エッセイです。男女差は能力ではなく、筆者が感じるコミュニケーション文化の傾向として論じています。

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