ネットのコメント欄には、ときどき恐ろしい才能が現れる。
ある意味、現代の下品な俳句である。
代表格が「もう赤」だ。
出発点は明確にキモい。本人に向けて言っていい言葉でもない。だが読んだ側は、気持ち悪さと同時にこう思ってしまう。
なんでそんな言葉、思いつくんだ。
この記事では以下、こういう異常に語感のいいキモコメを書く人間を変態文豪と呼ぶ。
考えてみれば、本物の文豪も大概である。
太宰治は破滅と女と死を作品にも人生にも持ち込み、谷崎潤一郎は倒錯や執着を美しい文章へ変え、永井荷風や江戸川乱歩も人間の欲望や覗き見趣味を文学にした。
ただ、どちらにも必要なのは異常な観察力と、頭の中に浮かんだものを言葉へ変換する能力だ。
違うのは、その才能をどこへ向けたかである。
しかもコメント欄は、文章の競技場として意外と厳しい。
X、TikTok、YouTube。
長文は飛ばされる。説明したら負け。何千というコメントの中で、一行だけで人を止めなければならない。
結果、変態文豪は研ぎ澄まされる。
五七五ですら長い。
数文字で人間の欲望を表現する。
ある意味、現代の下品な俳句である。
さらにネットでは作者の名前が消え、文章だけが残る。
「もう赤」も元投稿そのものより短縮形が広まり、意味を知る人間だけが反応する符丁になった。ここまで来ると、個人のキモコメが一つの“作品”として勝手に独立している。
もちろん、セクハラを芸術と呼んで正当化する話ではない。
本人に届けば普通に迷惑だ。
ただ、人間の才能は厄介である。
人格が最低でも、文章だけ異常にうまいことがある。
ネットのコメント欄は、人類最大級のゴミ箱だ。
罵倒、欲望、悪意、妄想が毎日放り込まれる。
しかし、ごくまれにその底から、
「こいつ、キモいのに文章うますぎるだろ」
という一文が出てくる。
変態文豪。
文学賞には絶対出せない。
だが彼らは今日も匿名で、誰にも頼まれていない代表作を書き続けている。
出典・編集注記
『もう赤』という短縮表現が、本田望結を扱った動画のタイトルなどを通じてネット上で流通していることを確認しました。ただし、匿名コメントの初出、元の全文、最初の投稿者は特定できていません。本稿は本人へ向けた性的コメントやセクハラを芸術として推奨・正当化するものではなく、短い不適切コメントが語感によってミーム化する構造を論じる編集部の意見です。太宰治、谷崎潤一郎、永井荷風、江戸川乱歩についての記述は、個々の人格評価ではなく、作品に描かれた破滅、執着、欲望、覗き見などの主題を要約した表現です。






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