蜷川実花の映画は、めちゃくちゃ画が強い。そして筆者には、映画が弱く見える。極彩色、花、光、衣装、構図。どこを切っても蜷川実花だと分かる。写真家として一級品なのは疑いようがない。問題は、映画が「すごい一枚」を90分並べる競技ではないことだ。
画が強い、でも次を見たくならない
映画は、人物の欲望、障害、変化、芝居、間、情報を出す順番で「次の5分も見たい」をつなぐ。蜷川作品では「この画を見せたい」が先に立つように感じる。最初は圧倒されても、60分後には色彩へ慣れ、最後に物語の弱さが残る。
写真家は一瞬、監督は時間を設計する
ポスターは見たくなる。予告も映える。数十秒なら強烈だ。それでも一本通すと長い。一瞬を最大化する才能と、時間を支配する才能は別物である。「映像が綺麗だった」だけが感想に残るのは、映画への褒め言葉として少し怖い。
蜷川実花は映画監督でなくても強い
才能がないと言いたいのではない。写真、広告、MV、映画のビジュアルディレクションなら、作者が一目で分かる力は圧倒的だ。脚本と芝居と時間を運ぶ監督を別に置き、その上へ蜷川の画を乗せる映画なら見たい。一枚の画で殴る才能と、90分退屈させない才能は別だ。画作りが100点だからこそ、演出の弱さが余計に目立ってしまう。






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