マイケル・ジャクソンは、子どもの頃からスターだった。世界中が知る成功の裏側で、何を失い、何を抱え、それをどうステージ上のカタルシスへ変えたのか。彼を題材にするなら、本来そこまで踏み込む映画であるべきだった。

ところが『Michael/マイケル』は、物語のメインヴィランを父ジョーへ置く。過酷な指導を乗り越え、才能ある少年が自由を得る。構図は一目で分かり、観客が迷う余地も、説明の必要もない。しかし、その分かりやすさと引き換えに、家族というシステムの複雑さは消えた。

悪役をひとりに決めた瞬間、マイケル・ジャクソンの人生は、説明できる物語に縮んだ。

父親だけを悪者にしても、マイケルには届かない

必要だったのは、父親以外の家族とのいざこざだ。守られた記憶と利用された感覚、愛情と競争、同じステージに立った兄弟との距離。その相反する感情まで描いて初めて、誰もが知るスターの孤独は生々しくなる。父親ひとりへ痛みの原因を集めれば、物語は楽になる。だが、マイケルの人生はそんなに簡単ではない。

もちろん、映画としては楽しめる。彼にはチャーミングなキャラクターと圧倒的なパフォーマンスがあり、売れるべくして売れたのだと思わせる。全世代が知る曲が次々に流れ、スクリーンの快楽は途切れない。ヒット曲の連続で満足するなら十分だ。だが、マイケル・ジャクソンを知るために金を払うなら、あまりに生々しさが足りず、あまりにB級だ。

出典・編集注記

映画『Michael/マイケル』の日本公式情報を参照して構成した編集部論考です。公式情報:

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