李相日監督、吉沢亮主演の映画『国宝』が、2027年新春に日本テレビ系『金曜ロードショー』でテレビ初放送される。9月11日、『タイタニック』後編の放送後に特報として発表された。横浜流星、渡辺謙、寺島しのぶらが参加し、歌舞伎の世界で芸に人生を差し出す男たちを描いた175分。邦画実写の歴代興行収入1位まで上った作品が、今度は無料の家庭画面へ来る。

喜ばしい。だが、素直に『見やすくなった』で終わらせるには、この映画は長すぎる。

地上波は『国宝』を小さくする装置か。それとも、映画館へ行かなかった人まで同じ物語へ連れ戻す最後の大広間か。

175分を、テレビの時計へ押し込む

通常の『金曜ロードショー』より大幅に長い。現時点で放送日時も、ノーカットかどうかも公表されていない。だから短縮やCM位置を決めつけて批判することはできない。ただし放送枠には終点があり、CMには売り手の都合がある。舞台の呼吸、化粧が完成するまでの時間、喜久雄と俊介の関係が積み上がる沈黙は、削れば筋だけ残っても体温が落ちる。

映画館では途中でスマホを見ないことまで体験に含まれた。テレビでは台所へ立てるし、通知も鳴る。その自由は視聴者のものだが、『国宝』が売った集中とは正反対である。

それでも地上波には役目がある

反論もある。劇場へ行けなかった人、高額な配信契約を増やしたくない人、子育てや介護で三時間座れない人にとって、地上波は入口になる。途中で休めることは作品への侮辱ではなく、作品へ近づく条件でもある。何より同じ夜に大勢が見て、翌朝に話すテレビの力は、配信のおすすめ欄では代替しにくい。

『タイタニック』を前後編で放送した直後に『国宝』を告知した判断は象徴的だ。長尺だから避けるのではなく、長尺そのものをイベントへ変える。二夜構成、延長枠、CM配置の工夫など、選択肢はある。作品を家庭へ運ぶなら、映画を番組表へ従わせるのでなく、番組表を映画へ従わせる覚悟が要る。

映画館の勲章を、テレビの実験へ

興行収入の記録は、公開が終われば数字として棚に飾られる。地上波初放送は、その勲章をもう一度、人の時間へ戻す機会だ。視聴率だけを追って説明を足し、余韻を削れば、国民的映画を国民向けに薄める笑えない結果になる。反対に、175分の重さを保ったまま届ければ、『テレビは映画を切る場所』という先入観を切れる。

配信の普及で、テレビ初放送は以前ほど唯一の解禁日ではなくなった。それでも全国へ同時に届く無料放送には、作品を未見層の共通語へ変える力が残る。視聴者の集中が細切れになった時代に、三時間近い映画を正面から置くこと自体が編成の主張になる。放送後の切り抜きや感想だけが回るのか、全編へ座り直す人が増えるのか。逃げずに届けろ。そこまで含めて二度目の公開だ。

地上波は『国宝』を小さくする装置か。それとも映画館へ行かなかった人まで同じ物語へ連れ戻す最後の大広間か。日本テレビが放送するのは作品だけではない。テレビという器の格である。

出典・編集注記

日本テレビ系『金曜ロードショー』でのテレビ初放送決定は、2026年9月11日の番組内発表と映画公式発信、ORICON NEWSを参照しました。放送は2027年新春予定で、具体的な日時や放送形態は未発表です。上映時間175分はTOHOシネマズの作品情報を確認。『CMで切っても国宝なのか』『テレビが作品を守れるか』は、未発表の編集内容を断定したものではなく、長尺映画の地上波編成に対する編集部の論点です。

SHARE