東国原英夫氏が、Xの投稿をめぐり名誉毀損の疑いで書類送検された。

共同通信によると、元参院議員の外山斎氏が刑事告訴し、宮崎県警は9月18日に書類送検した。外山氏や告訴状では、東国原氏は2024年6月、外山氏について「暴力団と付き合いがあると言うことか?」と投稿。2026年4月に投稿を削除して謝罪した。今回の取材には「弁護士に任せているので回答できない」としている。書類送検は有罪確定ではない。

書いている時は独り言。届いた瞬間は出版物。

保存ではなく、全世界に公開

Xに何か書く時の感覚は、メモ帳に近い。机に座り、スマホを見て、思ったことを数十文字で書く。テレビの生放送で数万人へ話している感覚はない。

しかし押しているのは「保存」ではなく「全世界に公開」である。昔の便所の落書きなら、その便所に来た人しか読まない。SNSは落書きを世界中へ一斉に貼り、検索可能にし、スクリーンショットで保存する。人類は、とんでもないメモ帳を発明した。

独り言の顔をした出版物

「個人の感想にいちいち文句を言うな」という気持ちも分かる。本当に他人の机に置かれた私的なノートを勝手に開き、「この考え方はけしからん」と騒ぐなら、口を出す側がおかしい。

だがXは、自分から道端へ置いた文章だ。書いている時は独り言、届いた瞬間は出版物。UIだけがあまりにも私的で、目の前には自分とスマホしかいない。観客席もカメラも赤い収録ランプもない。脳は「数万人へ発言した」ではなく「ちょっと書き留めた」と錯覚する。通知の数字は反応をゲームの点数に変え、慎重さより速さを報酬にする。

有名人ならなおさらだ。居酒屋で隣の友人へ言った一言が、そのまま巨大スタジアムのスピーカーにつながっている。本人は鉛筆で壁に書いたつもりでも、届く速度は新聞より速い。削除しても、既に複製された文章までは回収できない。

「自由に書く」と「自由に読まれる」はセット

もちろんSNSで発言する自由はある。批判、疑問、皮肉まで禁止すれば、公人を検証する言論も痩せる。問題は強い意見そのものではなく、事実を示すように読める言葉を、裏付けと公開範囲を考えず投げることだ。

「SNSくらい自由に書かせろ」はその通りだ。ただ、自由に書くことと、他人が自由に読み、反論し、場合によっては法的措置を取ることはセットである。投稿欄は日記の余白ではなく、公開ボタンの手前にある原稿欄だ。

東国原英夫氏の件が今後どう判断されるかは、捜査と司法の手続きに委ねるべきで、外野が結論を先取りしてはいけない。ただ、この一件は、私語と公開の境界が画面の小ささで消える危うさを改めて見せた。

SNSは日記でもメモ帳でもない。全世界の人間が勝手に開けるメモ帳である。便所の落書き気分で書けるのに、届く範囲だけは世界規模。SNS最大のバグは、そこなのかもしれない。

出典・編集注記

共同通信の2026年9月20日付記事(熊本日日新聞掲載)と、外山斎氏の公式ブログを参照しました。共同通信は、外山氏が刑事告訴し、宮崎県警が9月18日に東国原英夫氏を名誉毀損の疑いで書類送検したと報道。2024年6月の投稿文、2026年4月の削除・謝罪、東国原氏側の取材回答も同記事に基づきます。書類送検は有罪確定を意味しません。本文後半は公開範囲とSNS設計に関する編集部の論評です。画像は本人や実際の捜査・投稿場面ではありません。

SHARE