ゲーム実況を見るたびに思う。

ゲームして。

喋って。

動画を上げる。

めちゃくちゃ楽そうである。

ロケはいらない。

スタジオもいらない。

出演者も自分。

企画によっては編集すら最低限でいい。

極端な話、ゲーム機とマイクがあれば今日から参入できる。

でも、だからこそ地獄なのだ。

誰でもできる仕事は、誰でもライバルになる

映画監督なら映画を撮らなければならない。

芸人ならネタを作る。

ミュージシャンなら曲が必要だ。

ゲーム実況は違う。

人気ゲームを起動して喋れば、とりあえず商品になる。

問題は、

隣にも全く同じゲームをやっている奴が500人いることだ。

ゲームそのものが面白いなら、視聴者は別にお前じゃなくてもいい。

だから実況者には、

「このゲームが見たい」

を、

「こいつがこのゲームをやっているから見たい」

へ変える作業が必要になる。

ここが異常に難しい。

売れた実況者には「ゲーム以外」がある

キヨなら、テンションと喋りそのものがコンテンツになる。

レトルトなら独特の距離感。

ガッチマンならホラーゲームでも崩れない落ち着いた実況。

兄者弟者なら声や掛け合い、複数人で遊ぶ空気まで含めて商品になっている。

つまり長く残っている実況者ほど、

ゲームを売っていない。自分の“見方”を売っている。

同じホラーゲーム。

同じマリオ。

同じ新作。

画面に映っているものはほぼ一緒。

それでも再生数が何十倍も違う。

その差が、実況者本人だ。

参入障壁が低いほど、差別化障壁は高い

これはゲーム実況だけではない。

アイドルも増えた。

YouTuberも増えた。

ポッドキャストも増えた。

始めるだけなら簡単になった。

だから、

「始めたこと」には、ほとんど価値がなくなった。

昔ならゲーム実況をしているだけで珍しかった。

今はゲーム実況をしていない理由を探す方が難しいくらい人がいる。

楽な商売に見える。

実際、始めるところまでは楽だ。

ただし、そこから10年、

「なぜお前を見るのか」

に答え続けなければならない。

ゲーム実況者が戦っている相手は、ゲームではない。

同じゲームを起動した、無限にいる自分の代わりなのだ。

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