昔の芸人は、舞台で面白ければ、相方と仲が悪くてもよかった。楽屋では喋らない。私生活では会わない。それすら「プロっぽい」とされた。
そこに別の商品価値を作ったのが、さまぁ〜ずと千鳥だ。三村マサカズと大竹一樹、大悟とノブ。漫才をしていなくても、昔話や失敗談を喋っているだけで見られる。「相方を知りすぎている感じ」まで芸になった。
芸人が売るものは、ネタからキャラクターへ、キャラクターから日常へ、そして人間関係そのものへ移った。
板橋ハウスは、かなり完成形だ
YouTube時代、その発明はコンビである必要すらなくなった。
板橋ハウスは、ピュート・竹内智也、軟水・つるまる、めぞん・吉野おいなり君の3人。別々のコンビで活動しながら一緒に暮らし、部屋で喋り、しょうもない遊びをする。大掛かりなセットもロケもいらない。3人の関係性そのものが企画になる。
キモシェアハウスは、金も仕事も少ない若手芸人の共同生活を「売れる前」から作品にした。誰かが賞レースで結果を出す。仕事が増える。部屋を出る。その変化がすべて物語になる。
ニートと居候とたかさきは、名前からして説明する気がない。ニート。居候。たかさき。何者かを整理する前に、変な人間関係がある。先に生活と友情があり、後からカメラが入る。この順番が強い。
僕らの別荘は、少しだけ設計図が見える
松井ケムリ、シドニー石井、今野一輝、放送作家の西塔徹成による僕らの別荘は、YouTube、イベント、書籍まで展開する。完成度が高いぶん、「この関係性、売れますよね?」という設計図も見える。
放送作家なのに嬉々として前に出て、ほんときしょいな。
とは思う。
でも、他の放送作家連中から馬鹿にされても金を取るその姿勢はある意味正解なのかもしれない。
実際、「この4人が一緒にいるところを見たい」と思わせ、商売として成立させている。
シェアハウスは最小単位のテレビ局だ
いま芸人が売るものは、ネタだけではない。「この3人が好き」「この家が好き」「この関係性が続いてほしい」という箱推しに客が付く。
一人が売れれば、ほかのメンバーへ客が流れる。賞レースで注目されれば、過去動画まで資産になる。一人のブレイクを全員で回収できる。
ただし、IPを作るために仲良くなるな。友情を商品にするのはいい。商品にするための友情になった瞬間、全部が安っぽくなる。
シェアハウスは、ただの住居ではない。芸人にとって最小単位の芸能事務所であり、最小単位のテレビ局であり、最小単位のIPなのだ。
出典・編集注記
本稿の「IP」は、関係性を軸に動画、ライブ、書籍、グッズへ展開できるコンテンツ単位を指します。






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