芸人が変なことをする。話を聞いていない。会話が噛み合わない。同じ失敗をする。
普通なら、それは『天然』『ポンコツ』『変人』というキャラになる。狩野英孝が妙なことを言えば笑える。ランジャタイ・国崎和也が意味不明な行動をしても、『国崎だから』で成立する。視聴者には『この人は笑わせる側だ』という安全装置があるからだ。
『天然』は本人の属性ではない。周囲の受け止め方と編集によって成立する芸なのだ。
『これ、笑っていいやつ?』となる瞬間
だが、その装置が外れる瞬間がある。
モグライダー・ともしげ、はっしーはっぴー、コロコロチキチキペッパーズ・ナダル。彼らを見ていると、ボケなのか、キャラクターなのか、その場で本当に会話が噛み合っていないのか、視聴者が判定できずに取り残されることがある。
もちろん、本人たちに発達障害やADHDがあると公表されているわけではない。外側から診断などできないし、してはいけない。
問題は、発達特性という言葉を知った視聴者が、勝手な診断を始めてしまうことだ。そして、ふと『これ、笑っていいやつ?』となる。
『天然』は本人だけで作るものではない
ウド鈴木やジミー大西のズレには、長年『天然』という愛嬌のある文脈が与えられてきた。共演者が驚き、ツッコミ、最後には本人も含めて笑う。安全に笑える場所を番組全体で作っていた。
つまり『天然』は本人の属性ではない。周囲の受け止め方と編集によって成立する芸なのだ。
ナダルは、その境界線を逆手に取る。嫌なことを言う。逃げる。保身する。それを共演者が『また始まった』と回収するから笑いになる。狩野英孝も、国崎和也も、ズレが芸として届く回路を持っている。
一方、その回路が見えないと、同じ失敗も『ただ感じの悪い人』に変わる。表情や言い方、共演者の処理ひとつで、天然と異質は簡単に入れ替わる。
芸人が戦う相手は、視聴者の良心だ
視聴者が『何か事情があるのでは』と考えた瞬間、笑いより同情が勝つ。芸人にとって、これは残酷だ。
これからテレビと芸人が戦う相手は、コンプラだけではない。『この人を笑って本当に大丈夫なのか』という視聴者自身の良心である。
天然と異質。キャラと素。笑いと違和感。その境界線が見えなくなった時、お笑いは急に難しくなる。
出典・編集注記
本稿は各芸人の演出上の見え方を論じる批評です。発達障害、ADHDその他の診断を示唆・断定するものではありません。






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