日付は、紗季がいなくなる少し前だった。
「間違いないんですか」
井口が聞いた。
「間違えない」
真帆は写真を見たまま答えた。
紗季は奈緒より少し後ろに立っている。
奈緒が肩を組んでいた。
嫌そうには見えない。
むしろ笑っている。
「この山岸さん、何歳です?」
「今二十九なら、十七くらい」
「宮下さんは?」
「十五」
「知り合いだったんですね」
「みたいだね」
真帆はそれ以上言わなかった。
鑑識員が写真を証拠品の袋へ入れる。
次の写真。
また奈緒。
別の女。
次。
紗季。
「これも」
ファストフード店。
テーブルの向かいに紗季がいる。
ストローをくわえたままカメラを見ていた。
次。
ゲームセンター。
奈緒と紗季。
小さな部屋。
床に座っている二人。
紗季は真帆の知らないパーカーを着ていた。
「結構一緒にいますね」
「うん」
「水城さんは知らなかった?」
「知らない」
井口が写真を見る。
知らない服だった。
知らない場所だった。
隣にいる女も知らなかった。
「写真、いつ頃まであります?」
鑑識員が束を見る。
「日付があるものだけなら、この辺りですかね」
「確認お願いします」
「はい」
真帆は立ち上がった。
「水城さん、大丈夫です?」
「何が」
「いや」
「大丈夫」
即答した。
井口はそれ以上聞かなかった。
*
現場を出た頃には、街はもう普通に動き始めていた。
駅へ向かう人。
ゴミを出す店員。
コンビニから出てくる学生。
規制線の内側だけが、まだ昨夜の続きだった。
真帆は車に乗る前にスマートフォンを見た。
新しい着信はない。
紗季。履歴はそのまま残っている。
「水城さん」
運転席から井口が呼ぶ。
「行きますよ」
「今行く」
助手席に乗った。
「さっきの宮下紗季さん」
「うん」
「事件なんですか」
「行方不明」
「十二年前から?」
「そう」
「記録、残ってますよね。取り寄せます?」
「お願い」
「十二年前か」
「何」
「紙ですよね」
「たぶん」
「面倒そう」
「仕事でしょ」
「言うと思った」
それからしばらく無言だった。
「水城さん」
「何」
「朝飯食いました?」
「食べてない」
「俺もです」
「だから?」
「腹減ったなって」
「コンビニ寄れば」
「いいんですか」
「運転手が死なれても困るから」
「ご遺体って呼んでくださいね」
真帆が井口を見る。
「死ぬ前から?」
「名前があるんで」
「井口亮」
「はい」
「うるさい」
井口が笑った。
*
本部へ戻る前にコンビニへ寄った。
真帆はコーヒー。
井口はおにぎり二つとパン。
「食べすぎじゃない?」
「朝飯ですよ」
「炭水化物しかない」
「警察官は体力勝負なんで」
「三か月犯人追いかけてない人が?」
「今日から変わるかもしれない」
「何が」
「人生」
「朝から重いな」
二人で車へ戻った。
「水城さん」
「何」
「十二年前の行方不明、担当誰だったか覚えてます?」
「小田切さん」
「小田切誠?」
真帆が見る。
「知ってるの?」
「名前だけ。水城さんの元上司でしょ」
「そう」
「師匠みたいな」
「違う」
「だって誕生日に酒送ってましたよね」
「何で知ってんの」
「去年、俺に買わせたじゃないですか」
「買わせてない。付き合わせただけ」
「師匠じゃないですか」
「元上司」
「まだ連絡取ってるんです?」
「たまに」
「じゃあ聞けば早いですね」
真帆はコーヒーを飲んだ。
「先に記録見る」
「何で?」
「十二年前のことを、人の記憶だけで聞いてどうするの」
「真面目」
「仕事だから」
「俺の口癖取らないでください」
真帆は窓の外を見る。
小田切。
警察署の硬い椅子。
紙コップの麦茶。
母親の赤い目。
何度行っても、
『まだ見つからない』
だった。
その中で小田切だけは、
『俺たちも諦めてない』
と言った。
*
十二年前の資料は、昼までには来なかった。
「まだです」
井口が言った。
「分かってる」
「三十分前も聞きましたよ」
「聞いてない」
「顔が聞いてました」
「顔で供述取らないんじゃなかったの」
「学習しました」
真帆は奈緒の事件資料を見る。
司法解剖はこれから。
現場周辺の防犯カメラも回収中。
奈緒の携帯電話は未発見。
通信記録の照会も出したばかり。
勤務先から顧客情報を受け取るにも時間がかかる。
何もすぐには出ない。
机の上には、分からないものだけが増えていく。
「水城さん」
「何」
「昨日の山岸さんの出勤予定、確認取れました。十六時からで間違いないです。前日は普通に出勤」
「その後は?」
「確認中」
「予約客」
「店がまとめてます」
「幸田さんは?」
「署でもう少し話聞いて、店の人が迎えに来て帰ってます」
「そう」
真帆は手帳に書いた。
山岸奈緒。
前日まで通常勤務。
当日無断欠勤。
携帯なし。
現金あり。
古い写真。
宮下紗季。
ペンが止まる。
「水城さん」
「何」
「来ました」
井口が薄いファイルを持っていた。
「これだけ?」
「とりあえず一部だけだそうです」
「一部?」
「保管場所が分かれてるとかで。残りは確認してから」
「いつ」
「早くて明日」
真帆はファイルを受け取った。
古い紙の匂いがした。
*
宮下紗季。
十五歳。
身長。
体重。
制服。
所持品。
家族構成。
交友関係。
最後に確認された場所。
真帆は一枚ずつ読む。
当時の自分の名前も出てきた。
水城真帆。
十七歳。
幼少期からの友人。
携帯電話でのやり取りあり。
「自分の調書見るの、嫌ですね」
井口が隣から言った。
「見ないで」
「見えます」
「じゃああっち行って」
「一緒に読むために持ってきたんですけど」
「勝手にすれば」
次のページ。
同級生。
担任。
母親。
父親。
そして、山岸奈緒。
「ある」
真帆が言った。
『山岸奈緒 当時十七歳』
聴取日は、紗季が失踪してから数日後。
「ちゃんと奈緒さんまで辿ってたんですね」
「そうみたい」
真帆は読み始める。
『宮下紗季とは失踪の約二か月前に知り合った』
『駅周辺で声を掛けた』
『数回、自宅に泊めたことがある』
「家出?」
「まだ」
真帆は読む。
『宮下は自宅へ帰りたくないと話すことがあった』
目が止まる。
「帰りたくない?」
井口が読む。
次の行。
『家族との関係については――』
そこでページが終わっていた。
「続きは?」
「ないですね」
「裏」
「白紙」
真帆はファイルをめくる。
続きはない。
「別紙じゃないですか」
「残りの資料?」
「たぶん」
「明日?」
「早くて」
真帆はもう一度最後の一行を見る。
『家族との関係については――』
紗季の父親。
母親。
真帆は二人とも知っている。
父親は小さな町工場をやっていた。
母親はよく真帆にも夕飯を食べさせてくれた。
真帆の記憶では、普通の家だった。
「家庭の問題ですかね」
井口が言った。
「分からない」
「でも帰りたくないって」
「だから、続き待つ」
*
夕方になっても、新しい資料は来なかった。
解剖の正式な結果もまだ。
真帆と井口は二台のモニターに分かれ、奈緒のマンション周辺の防犯カメラを見る。
人が歩く。
車。
自転車。
犬。
タクシー。
また人。
「何倍速?」
「四倍」
「見える?」
「ギリ」
「ならいい」
「水城さんは?」
「二倍」
「遅くないですか」
「見落とすよりいい」
「今日帰れないですよ」
「帰りたいの?」
「帰りたいですよ」
「じゃあ見て」
「理屈おかしくないです?」
二時間近く見た。
奈緒が前日の夜、マンションへ一人で帰宅する姿だけが確認できた。
殺害当日と思われる時間帯の映像はまだ回収中だった。
「目、痛い」
「休めば」
「いいんですか」
「十分」
「優しい」
「調子乗らない」
井口が席を立つ。
真帆はスマートフォンを出した。
紗季。
不在着信はまだ残っている。
発信ボタンを見る。
押さない。
「まだかけてないんですか」
井口の声がした。
真帆は画面を伏せた。
「何が」
「いや、何でも」
「見た?」
「見えてないです」
「じゃあ聞くな」
「はい」
*
その日は日付が変わる前に帰れた。
真帆の部屋は静かだった。
冷蔵庫から缶ビールを一本取る。
テーブルに座り、スマートフォンを置いた。
紗季の連絡先を開く。
名前。
番号。
それだけ。
十二年間、一度も消さなかった。
電話をかければいい。
知らない人間が出たら、それで終わる。
真帆は発信ボタンへ指を置いた。
押さない。
ビールを一口飲んだ。
「何してんだろ」
スマートフォンを伏せた。
*
翌朝。
本部へ着くと、井口が机の上にファイルを置いた。
「続き来てます」
真帆は鞄を置く前に手を伸ばした。
「全部?」
「まだ一部」
「まだ?」
「十二年前舐めないでください」
「あんたが保管してたみたいに言わない」
ファイルを開く。
昨日途切れた山岸奈緒の供述。
続きがあった。
『家族との関係については、特に不和は見られなかったものの、宮下本人は「ずっと見られている気がする」とひどく怯えていた』
真帆は読む速度を落とした。
『理由を尋ねると、家の近くに来る成人男性が怖いと話した』
「男?」
井口が言った。
『当該男性は父親の仕事関係者であるとのこと』
『学校付近、駅周辺、自宅付近で見かけることが増えた』
『宮下本人は、相手が自分の行動を把握しているように感じると話していた』
「ストーカーじゃないですか」
「そう見える」
真帆は先を読む。
『宮下は一度、家族へ相談している。ただし相手が父親の仕事関係者であり、父親自身も面識があったことから、深刻な危険としては受け取られていなかった様子』
真帆の指が止まる。
紗季の家が嫌だったわけではない。
家族と揉めていたわけでもない。
家に帰れば、その男に場所を知られている。
だから帰りたくなかった。
次の行。
『宮下は山岸に対し、相談したい人物がいると話していた』
井口も黙って読む。
『年上の女性で、幼い頃から姉のように慕っている人物』
真帆の指が止まる。
『氏名について、山岸は「真帆ちゃんと呼んでいた」と供述』
「水城さん」
「うん」
「これ」
「分かってる」
十二年前。
『真帆ちゃん、話したいことある』
カラオケ。好きだった先輩。
『ごめん。今日バイト。また今度聞く』
嘘だった。
真帆はページをめくった。
「男の名前」
「まだ出てないですね」
「次」
学校への聞き込み。
近隣住民。
父親の勤務先。
肝心の男の氏名が記されたページは、今回の資料にも入っていなかった。
「また待ちですね」
井口が言った。
「そうね」
真帆はファイルを閉じた。
「水城さん」
「何」
「宮下さんのお母さん、今日行きます?」
真帆は少し考えた。
「行く」
「俺も?」
「いや」
「何で」
「知ってる人だから」
「捜査ですよ」
「分かってる」
「だったら俺も」
真帆は井口を見る。
「今回は一人で行かせて」
井口は少し黙った。
「分かりました」
真帆は机の上のスマートフォンを見る。
紗季。
新しい着信はなかった。





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