ケイト・ブランシェットがロンドンのNational Theatreで『Electra/Persona』を演じた後、再び舞台へ現れ、客席からの撮影をやめるよう求めた。撮った映像を投稿すれば、これから見る観客の体験を損なうという趣旨だった。
ベネディクト・アンドリュース演出の本作では、ブランシェットとニーナ・ホスが毎夜コイントスで役を交換する。誰がエレクトラを演じるかさえ当日変わる。だから記録したい気持ちは理解できる。二度と同じ配役にならないかもしれない。だが、その希少性を所有しようとスマホを上げた瞬間、別の観客の視界は確実に奪われる。
舞台を保存したい欲望が、目の前の舞台を壊す。撮れないことまで含めてチケットの内容だ。
“自分用”でも、光は共有される
撮影者はフラッシュを使わず、短時間なら迷惑ではないと思うかもしれない。しかし暗い客席では小さな画面も明るい。腕を上げ、構図を確認し、通知を見る。その動作は周囲へ漏れる。自分用の記録でも、妨害だけは全員へ配信される。
俳優側には集中と肖像、舞台側には演出と権利の問題もある。未完成な角度の短い切り抜きが作品代表のように拡散すれば、見る前の客は意図しない断片を渡される。ブランシェットの要請はスターの神経質さではなく、共同鑑賞の最低条件だ。
劇場も“投稿してください”と客を訓練した
ただし観客だけを叱って終わるのは簡単すぎる。劇場や制作側はロビー、カーテンコール、ハッシュタグ、出演者の舞台裏動画を使い、来場者へ発信を促してきた。スマホで話題を広げてほしい一方、境界は暗黙に理解せよという設計は不親切だ。
公演前に禁止を一度流すだけでは足りない。どこから撮影不可か、カーテンコールも含むのか、違反時に誰が声を掛けるのかを具体化し、スタッフへ負担と権限を与える必要がある。報道では、注意する劇場職員への暴言も問題になっている。俳優本人が終演後に戻らなければ止められない状況は、運営の敗北でもある。
さらにスマートグラスは画面を掲げず撮れる。外見だけで判断しにくく、注意すれば補助器具との区別も問われる。端末禁止という古い掲示だけでは、技術の変化へ追いつかない。劇場ごとの規則ではなく、業界共通の説明と対応が要る。
記録できない夜を、欠損と思うな
反論もある。高いチケットを買い、好きな俳優の一瞬を残したい。公式映像が出ないなら、観客の記録は文化資料にもなる。しかしアーカイブの不足を、無許可撮影で個人が埋めるのは違う。制作側が写真や収録版を適切に残し、後から広く共有する責任を負うべきだ。
ライブの価値は、証拠を持ち帰れない不安と表裏一体である。同じ夜を見た人の記憶が少しずつ違うから、感想が生まれる。全部を撮れば、鑑賞は素材回収になる。
舞台を保存したい欲望が、目の前の舞台を壊す。撮れないことまで含めてチケットの内容だ。拍手より先に録画ボタンを押す観客は、作品を見たのではなく、自分がいた証拠だけを持ち帰っている。
出典・編集注記
The TimesとDeadlineの2026年9月21日前後の報道、The Guardianの9月2日付公演評、National Theatreの公演情報を参照しました。ブランシェットは『Electra/Persona』の終演後に再登場し、客席からの撮影をやめるよう求めたと報じられています。個別の観客の身元や意図は推測していません。画像は本人の実際の公演場面ではありません。






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