溝口勇児と「青汁王子」こと三崎優太の騒動を見ていると、不思議な感覚になる。

成功した大人の喧嘩なのに、どこか高校生っぽいのだ。

三崎は2026年6月、共同事業「REAL VALUE」をめぐる対立や、てんちむとの結婚、女性をめぐる問題などを含めて溝口への主張を展開。溝口もXのスペースで数時間にわたり反論した。双方の主張には食い違いがあり、どちらが正しいかを外野が断定できる話ではない。

ただ、今回考えたいのは勝敗ではない。

「なぜ成功した男は、突然こんなにも青春を始めるのか」だ。

溝口を見ていると、格闘技イベントを作り、自らミットを打ち、ボール投げ姿がださく、身体を鍛え、女性関係まで含めて自分自身をコンテンツにしていく。

もちろん、それだけで「昔モテなかった」とは言えない。

ただ、その姿には大人になってから手に入れた金、知名度、身体、仲間によって、10代や20代でやり残した青春を猛烈な勢いで回収しているような危うさを感じる。

おそらく彼は金が欲しいだけではない。

「自分は魅力的な男だ」と認められたい。

もし若い頃に得られなかった承認がコンプレックスとして残っていれば、成功後に突然モテ始めた時、その承認は麻薬のようになる。

金でモテることと、モテる自分を扱えることは別なのだ。

一方の三崎氏は少し違って見える。

「青汁王子」という名前からして、自分の若さ、顔、派手な生活まで含めて自己IP化してきた。

つまり女性からどう見られるかを含め、「三崎優太」という商品を長年プロモーションしてきた人間だ。

だから今回の二人は、同じ成功者でも対照的に映る。

これは溝口の恋愛遍歴を断定する話ではない。

むしろ成功者が女で揉めた時、見るべきなのは金額や女性の数ではなく、その人が「モテる自分」をいつ手に入れたのかではないか。

金はコンプレックスを消してくれる。

しかし時々、消えたと思っていたコンプレックスに、巨大な拡声器を与えてしまう。

溝口・青汁騒動を外から眺めていて感じる痛々しさの正体は、そこなのかもしれない。

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