2026年8月21日、『となりのトトロ』がまた地上波で放送された。
金曜ロードショーでは、これで20回目。
1988年の映画を、令和になっても何度もテレビで流す。
普通なら「もう見たよ」で終わりそうなものだ。
それでもトトロは見てしまう。
宮崎駿は何がそんなに上手いのか。
今回は、壮大な世界観ではなく
異常に細かい共感力に注目したい。
「私、死ぬのかな」が妙に分かる
『魔女の宅急便』で、風邪をひいたキキが弱りながら「私死ぬのかな?」と口にする。
大げさである。
ただ、妙に分かる。
高熱が出た夜。
吐き気が止まらない時。
身体が異常にしんどい時。
一度くらい、
「あれ、俺このまま死ぬ?」
と思ったことはないだろうか。
翌日には普通に生きている。
でも、その瞬間だけは本気で不安なのだ。
このどうでもいい人間の感覚を宮崎作品は逃さない。
子どもは綺麗に走らない
『トトロ』でも、宮崎駿が特にこだわったものの一つが子どもの走りだったという。
子どもは一定のリズムで綺麗に走り続けない。
速度が変わる。
身体が揺れる。
だから自然に見せるのが難しい。
ストーリー上は、本当にどうでもいい。
でも、その「どうでもいい」がサツキやメイをアニメの登場人物ではなく、どこかで見た子どもにする。
ファンタジーほど、現実を入れる
トトロに会った人はいない。
空を飛ぶ魔女も知らない。
巨大な動く城にも入ったことはない。
でも、
風邪で死ぬ気がしたことはある。
急いで靴を履いたことはある。
重い荷物を持ち直したこともある。
その一瞬だけ、自分の記憶と作品がつながる。
すると、存在しない世界まで急に本物になる。
宮崎駿の妙技とは、ファンタジーを描くことではない。






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