「ミセスのファン、民度低くない?」

SNSでは定期的にこんな言葉が流れてくる。

2026年5月には、ライブ会場周辺に「音漏れ」目的の人が滞留し、公式が移動を求める事態になった。

だが、数百万人のファンを一括りにして「民度が低い」と決めつけるのは乱暴だ。

売れれば、変なファンも増える

1万人に1人の迷惑客でも、100万人なら100人いる。

SNSで目立つのは、ルールを守る99万9900人ではなく、その100人だ。

しかもMUFGスタジアムで騒いで問題になった人々は、一般ファンではなく招待客だったと報じられている。

何でも「ミセスファンの民度」にするのは間違っている。

それでも本人と無関係ではいられない

一方、Mrs. GREEN APPLE自身も2024年、「コロンブス」のMVが歴史認識や人種表現をめぐって批判され、公開停止と謝罪に至った。

もちろんMVとファンの迷惑行為は別問題だ。

ただ、人気者になると本人の発言、謝罪、批判への向き合い方まで含めて「この界隈はどういう文化なのか」と見られる。

ファンが批判者をすぐ「アンチ」「嫉妬」と攻撃すれば、本人を守るどころか印象を悪化させることもある。

「民度が高い」と言われるファンとの違い

逆に、藤井風、宇多田ヒカル、BUMP OF CHICKEN、星野源などは、比較的「ファンの空気が穏やか」と語られることがある。

もちろん全員が礼儀正しいわけではない。

それでも興味深いのは、本人たちがファンに過剰な忠誠や他者への攻撃を求めるようなスタイルではないことだ。

作品を好きならそれでいい。

他人と競わなくていい。

自分を神格化しなくていい。

そんな距離感が、ファンダムの空気にも少しずつ反映される。

ファンは写し鏡ではない。でも文化にはなる

ファンはアーティスト本人のコピーではない。

迷惑客の責任まで本人に背負わせるのもおかしい。

しかし、ファンを「兵隊」にするのか、「同じ作品を楽しむ人」として扱うのか。

その違いは大きい。

スターになると、自分の知らないところでファンまでブランドの一部になる。

だからファンの民度は、ファンだけの問題でも、本人だけの問題でもない。

アーティストとファンが長い時間をかけて、一緒に作ってしまう文化なのだ。

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