ミスコンとは何を決める大会なのだろう。

昔なら簡単だった。

「一番きれいな人を選ぶ」。

良くも悪くも、それだけだ。

ところがルッキズム批判が広がった現在、美人を選べば「外見至上主義」と言われる。

では逆に、あえて従来の美的基準から外れた人を選べば正しいのか。

「美人を選ばない」も、顔を見ている

ここに妙な矛盾がある。

「この人は美人すぎるから選ばない」

「多様性を示すため、このタイプを選ぼう」

そう考えた瞬間、やっていることは結局同じだ。

顔を見ている。

美人だから加点するのも、美人だから減点するのも、容姿を判断材料にしていることに変わりはない。

逆ルッキズムになっただけではないか。

「かわいい」まで禁止する必要はあるのか

さらに奇妙なのが、褒め言葉まで警戒される空気だ。

「かわいい」

「美人」

「かっこいい」

これらを言うだけで、外見ばかり評価するなと怒られることがある。

もちろん容姿だけで人間の価値を決めるのはおかしい。

だが、目の前の人を「かわいい」と感じることまで悪なのだろうか。

ミスコンを残すなら、美しさから逃げるな

そもそも外見を一切評価しないなら、「ミスコン」という形式自体をやめればいい。

スピーチ大会にする。

活動実績を競う。

企画力を評価する。

それなら分かる。

一方で「美を競う大会」を名乗りながら、美しさを評価したことだけ謝り続けるのは意味不明だ。

ルッキズムをなくすとは、美人を否定することではない。

美人でも、そうでなくても、それだけで人間の価値を決めないことだ。

「かわいい」は感想でいい。

問題なのは、その先に「だから偉い」まで付けてしまうことなのではないか。

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